2015年7月13日月曜日

KARA物語2 ~ 4人でのスタート

彼女たちのことを何から書き始めればいいのか?

ぼんやりと考えながら、デビュー間もない頃のKARAの写真を眺めてみる。4人が路上で仲良く並んでファインダー越しに微笑みかけている。赤と白いTシャツにダウンジャンパーに帽子をかぶっていたりして、元気なストリートダンサー少女といった感じだ。

-いい顔しているな
素直にそう思った。これから長い旅に出る前の少しの緊張とともに胸いっぱいに夢を抱いている彼女たちの初々しい表情に、いまさらながら時間軸を越えて頑張れとエールを送りたくなるような写真だった。
メンバーは今の5人組のKARAとは異なる。
写真には左から順番に、ハン・スンヨン、ニコル、パク・ギュリ、そして今はもうKARAにいないキム・ソンヒの4人組である。現メンバーであるク・ハラとカン・ジヨンはこのときまだKARAのメンバーではなかった。


彼女たちの最初の出会いはどのようなものだったのか?
詳しいことはよくわからない。ただ、概ね次のような記録が残っている。

メンバーで最も幼い顔立ちが印象のハン・スンヨンは、1988724日にソウルで生まれた。幼いころから何度か子役でドラマに出演しており、その頃から芸能界には興味があったようだ。中学2年生から高校1年生の間にアメリカのニューヨークとニュージャージーに留学していたが、帰国後にとあるダンススクールに通い、そこで芸能関係者に誘われ、現所属事務所であるDSPメディアのオーディションを受け、KARAのメンバーになった。
若いこともあり、スンヨンはこれからのKARAでの芸能活動に大いに夢を膨らませていた。

初期メンバーで最年少のニコルは、元々韓国ではなくアメリカで生まれている。1991107日にロサンゼルス郊外のグレンデール市で10代の前半を過ごた。中学生の時からダンスに親しみ、来る日も来る日も踊っていたという。
従って当然その頃から芸能活動には興味があったようだが、15歳のときにいよいよ両親の母国である韓国の芸能オーディションを受け、その結果、両親の生まれ故郷である韓国に渡ってきた。
来韓時、英語が母国語のニコルは、韓国語があまり流暢に話せなかった。しかしながら、アメリカ仕込の飾らない人付き合いと持ち前の明るい性格で、言葉さえ何とかなれば、メンバーとはうまくやっていけそうな感じだった。

パク・ギュリの母は韓国では有名な声優であるパク・ソヒョンであった。従って、幼い時から映画やアニメに興味を持ち、自然と芸能にも興味があったようだ。元々は別の事務所に所属していたが、そこでのデビューが流れたためにDSPメディアのオーディションを受けてKARAに合流した。生まれは1988521日であり、メンバー中最年長だったため(韓国は年齢による序列の概念がしっかりしており、グループでの最年長者がグループを取りまとめるの自然である)、KARAのリーダーになった。ただ、結果的にそれが今日のKARAにとっても適任だったようである。当時からギュリは仕事に対して極めて真摯に取り組み、リーダーという職務に対して誠意をもって取り組んでくれそうだった。
そんななか、スンヨンと初めて会ったときのギュリの回顧話がおもしろい。
ギュ リは初めてスンヨンに会ったとき、スンヨンの幼い顔立ちに中学生かと思った。スンヨンは初対面のギュリに会うと人懐っこそうな笑顔を浮かべならがギュリの 手を取り、「よろしくね。今日から友達だよ」と話かけた。実は同い年のふたりだが、このときギュリはスンヨンが自分より年下だと思い「礼儀の知らない子ど もなのかな」と困惑した。
無邪気なスンヨンと人や物事に対する距離感を冷静に保っているしっかりもののギュリを象徴するやりとりが微笑ましい。

最後にキム・ソンヒである。
ソンヒは現メンバーではないので知らない人も多いと思うが、彼女はDSPメディアの練習生からの生え抜きで。中学生のときからイ・ヒョリのドラマの主題歌を歌うなどして、その歌唱力には定評があった。年齢は1989517日生まれの当時17歳だったが、DSPメディアは早くからソンヒに期待していて、彼女をKARAのメインボーカルとして売り出していこうと考えていたようだった。
なるほど、先ほどの写真に戻り4人全員を見てみると、ソンヒの端正な顔だちに最初に目が行く。目元がきりりとして特徴がある。デビュー前からの芸能活動の蓄積が他のメンバーよりも抜きん出ていたことから来るオーラのようなものも感じられる。


この写真を見ると、まだ何も先は見えないが、それでも大いなる期待と夢に思いを馳せる彼女たちの初々しい表情に惹かれるのである。

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