2015年7月13日月曜日

KARA物語3 ~ デビュー

DSPエンターテイメントは当初KARAをどのように売り出したかったのだろう?
 当時の話から、その戦略の一端はうかがい知ることができる。  かつて1990年代後半から2000年初頭にかけて活躍した女性ダンス系アイドルFIN.K.L(ピンクル、フィンクルともいう)という4人組が いた。FIN.K.Lは「永遠の愛」、「White」、「私の王子様に」等のヒットを連発し、韓国音楽界をリードしていた存在だった。韓国としては珍しく 大型ライブコンサートを行って成功を収めるなど、DSPエンターテイメントの看板グループになっていた。DSPエンターテイメントはそれを意識して、 KARAを第二のFIN.K.Lという触れ込みで売り出そうと考えていたらしい。前回のストリート系のファッションに身を包んだ彼女たちの写真はそのよう な戦略を意識させる。
 次に経験と歌唱力に一律の長があるキム・ソンヒをメインボーカルにして楽曲を準備した。DSPは事務所の生え抜きであり、 実績も十分あるソンヒを中心にした音楽性で、KARAを売り出そうと考えたのである。このあたりが現在の5人鼎立のKARAとは全く異なっていておもしろ い。
 そして、彼女たちはDSPの期待を背負い、2007年3月29日に韓国のケーブルテレビM.netの人気音楽番組M countdownで「Break It」でデビューを飾る。「Break It」はヒップホップ系のノリのいい曲である。脇には男性ダンスセッションを配置し、彼らと一体となって、小気味いいダンスパフォーマンスを展開する。さ らに4人が代わる代わる歌いあげるヴォーカルにはダンス系の低音にも負けずしっかり伸びている。とりわけ、ソンヒの歌唱力は力強く秀逸である。アメリカ仕 込みのニコルのダンスと英語ラップも曲にスピード感を与えている。
「みんな、よかったよ!」
 ステージパフォーマンスを終え、リーダーのギュリがメンバーみんなに声を掛ける。ケーブルテレビではあるが十分に韓国の人気音楽番組であるM countdownの収録を終え、控室に戻る彼女たちにも十分手ごたえはあった。
「緊張して何がなんだかわからなくなった!」
 スンヨンは緊張しやすいたちで、びっしょり汗をかいた顔をタオルで拭いながら張りつめた緊張感からの解放に浸っている。
「やっとこれが第一歩だね」
 ソンヒもメンバーを鼓舞する。半年も合宿所と事務所のレッスン場の往復から苦労を共にした4人の間にはいつしか共通の感情が芽生えていた。周りの評価も上々だった。デビューのステージで、KARAは実力を十分に発揮し、鮮度の高い歌唱力とダンスをステージ上で披露した。

  同時にKARAは第1集正規アルバム『The First Blooming』を発表する。韓国の歌手の音楽活動は日本とは少し異なる。アルバムの発表に合わせ、集中的にプロモーションをする。期間はおよそ3カ 月。この間に各種音楽番組等に出演し、楽曲を披露し、アルバムの宣伝をする。セールス期間が終わると、次のアルバムの準備にかかる。基本的にこのサイクル を繰り返す。
 従って、彼女たちのこの3ヶ月の活動が重要である。メンバー4人はデビューすると、基本的にオフの日も含めて合宿所で過ごし、歌とダンスのスキルの向上と、メンバー同士のチームワークの向上に努めた。
 この何の将来の保障のない芸能界で頼れるのは、自分たちの実力と結束力、そして、何より運をものにすることが重要だということは、事務所からレッスンの初歩の初歩として何度も言われていた。
 「わたしたちには運が備わっているのだろうか?」
 このことに答えられる者はもちろん誰もいない。
 だからこそ、来る日も来る日も彼女たちは自分たちに出来ること━レッスンにひたすら励むのだった。

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